「できない自分」を責めるのをやめた日、心がやっと動き出した。
完璧じゃなくても、ちゃんと前に進める。
🌱 完璧を目指して、失ったもの
「もう、無理…」
キッチンの床に座り込んで、私は泣いていました。
その日は、友人を家に招く予定でした。
だから、朝から掃除を始めて、料理を準備して、テーブルセッティングまで完璧にしようとしていた。
でも、時間が足りない。
掃除も中途半端、料理もまだ途中。
「こんな状態で人を呼べない」
そう思った瞬間、全てが嫌になって、友人に「体調が悪い」と嘘をついてキャンセルしてしまったんです。
私は、何事も「完璧にやらなきゃ」と思ってしまう性格でした。
仕事も、家事も、人間関係も。中途半端は許せない。
人に見せられるレベルに達していないなら、やらない方がまし。
そう信じて、いつも自分を追い込んでいました。
自己啓発本には、「目標を高く持とう」「妥協しない」「最高の自分を目指そう」と書いてある。
だから、完璧を目指すことは正しいと思っていた。
でも実際は、完璧を目指すほど、何も始められなくなっていったんです。
ブログを書こうと思っても、「完璧な文章じゃないと公開できない」と何度も書き直して、結局投稿しない。
新しいことを始めたくても、「最初から上手にできないなら恥ずかしい」と一歩が踏み出せない。
家族との時間も、「ちゃんとした母親・妻でいなきゃ」と思うあまり、自然体でいられなくなっていました。
気づけば、私は何もしていない日が増えていました。
完璧にできないなら、やらない。
その結果、ただ時間だけが過ぎていく。
そして、「今日も何もできなかった」と自分を責める。
この悪循環に、心がすり減っていったんです。
でも、ある日、娘の言葉で目が覚めました。
「お母さん、いつも疲れてるね。もっと楽にしたらいいのに」
その言葉が、胸に刺さりました。
私は、完璧を目指して頑張っているつもりだった。
でも、家族から見たら、ただ疲れている人。
完璧を追い求めるあまり、まったく逆方向の印象を与えていたんです。
あまりにも情けなくて、私は「完璧にやらなきゃ」を手放しました。
そうしたら、人生が、少しずつ動き始めたのです。
💡 気づき:完璧を手放すと、自由が戻る
振り返ってみると、私はずっと「完璧じゃないと価値がない」と思い込んでいました。
完璧な仕事、完璧な家事、完璧な母親、完璧な妻。
それが、私の存在価値を証明するものだと信じていたんです。
だから、少しでも不完全なものは、恥ずかしくて人に見せられない。
中途半端なことをするくらいなら、最初からやらない方がまし。
でも、ある日気づいたんです。
完璧を目指すことは、実は「やらない言い訳」だった、と。
「完璧にできないから、やらない」
その言葉の裏には、「失敗するのが怖い」「批判されるのが怖い」「不完全な自分を見せたくない」という恐怖が隠れていました。
完璧主義は、向上心ではなく、恐怖からの逃避だったんです。
そして、もう一つ気づいたこと。
完璧を手放すと、自由が戻る。
「完璧じゃなくてもいい」と思った瞬間、選択肢が一気に増えました。
ブログは完璧な文章じゃなくても公開できる。
料理は豪華じゃなくても、家族と一緒に食べられる。
掃除は完璧じゃなくても、友人を呼べる。
部屋が多少散らかっていても、大切なのは一緒に過ごす時間。
「60点でいい」と思えたとき、やっと動けるようになりました。
最初は不安でした。
「こんな不完全なもので、いいのかな」
「人に笑われるんじゃないか」
でも、実際に70点のブログを公開してみたら、意外にも反応があった。
「わかる!」「共感した!」というコメントが届いた。
完璧じゃないからこそ、人間味があって、かえって共感されたんです。
友人を家に招くときも、「部屋が散らかっててごめんね」と最初に言ってしまう。
すると、友人は「全然気にしない!うちもだよ」と笑ってくれた。
完璧じゃない自分を見せることで、むしろ関係が深まったんです。
私は、「最高を目指そう」「妥協するな」ということにこだわっていたけれど、本当に必要だったのは、「不完全でも前に進む勇気」だったんです。
🧠 心理学的解説:完璧主義は「認知のゆがみ」
「完璧主義は悪いことじゃない」。そう思う人も多いかもしれません。
でも、心理学では、過度な完璧主義は「認知のゆがみ(cognitive distortion)」の一つとされています。
認知行動療法の創始者、アーロン・ベックは、いくつかの認知のゆがみを定義しました。
その中の一つが「全か無か思考(all-or-nothing thinking)」。
これは、「完璧か、失敗か」の二択しかないと考える思考パターンです。
たとえば、
- 「100点じゃなければ、0点と同じ」
- 「完璧にできないなら、やる意味がない」
- 「一つでもミスがあれば、全て台無し」
この思考パターンに陥ると、70点や80点という「十分良い」状態を認識できなくなるんです。
そして、完璧にできない自分を責め続け、最終的には何もできなくなってしまう。
さらに、完璧主義は「先延ばし(procrastination)」とも深く関係しています。
心理学者のフェラーリは、「完璧主義者ほど先延ばしをする」という研究結果を発表しています。なぜなら、完璧を求めるあまり、始めることが怖くなるから。
完璧にできない不安が、行動を止めてしまうんです。
では、どうすれば完璧主義から抜け出せるのか。
近年、心理学で注目されているのが「受容とコミットメント療法(ACT: Acceptance and Commitment Therapy)」です。
ACTでは、「完璧な状態を目指す」のではなく、「不完全さを受け入れながら、価値ある行動にコミットする」ことを重視します。
つまり、不完全でもいい。失敗してもいい。
大切なのは、自分の価値観に沿って行動すること。完
璧さではなく、方向性。それが、心理的柔軟性(psychological flexibility)を生むんです。
私自身、この概念を知ったとき、「だから完璧を目指すほど動けなくなったんだ」と納得しました。
完璧を目指すことは、実は「動かない言い訳」だった。
でも、不完全を受け入れることで、やっと前に進めるようになったんです。
また、心理学者のブレネー・ブラウンは、「完璧主義は、恥の盾である」と述べています。
つまり、完璧を目指すのは、「不完全な自分を見せて恥をかきたくない」という防衛反応。
でも、その盾があるからこそ、本当のつながりや成長が得られなくなるんです。
不完全さを受け入れたとき、初めて人は本当の意味で自由になれる。
それが、心理学が教えてくれることでした。
🌿 実践法:完璧主義から抜け出す「3ステップ」
では、具体的にどうやって完璧主義から抜け出すのか。私が実践して効果があった方法を、3つのステップでお伝えします。
🌤 ステップ①:「気づく」— 完璧主義の声に気づく
まず最初に、自分の中の「完璧主義の声」に気づくこと。
完璧主義は、無意識に作動しています。
「こんなんじゃダメだ」
「もっとちゃんとしなきゃ」
「人に見せられるレベルじゃない」
そんな声が、頭の中で自動的に流れている。
でも、その声に気づくことが第一歩。
「あ、今、完璧主義が出てきた」と認識するだけで、その声に支配されなくなるんです。
私の具体的な方法:
- 「〜しなきゃ」「〜べき」という言葉が出てきたら、メモする
- 「これじゃダメだ」と思ったら、「今、完璧主義モードだな」と心の中で言う
- 一日の終わりに、「今日、完璧を求めた瞬間」を振り返る
知行動療法では、この「気づき」を「メタ認知(metacognition)」と呼びます。
自分の思考を客観視すること。
それだけで、思考に飲み込まれなくなるんです。
私の体験:
以前ブログを書いているとき、「この文章じゃダメだ」と思ってしまいました。
でも、「あ、今、完璧主義が出てきた」と気づいた瞬間、その思いは少し小さくなって、「60点でいいや」と思って公開したら、意外にも好評でした。
🌿 ステップ②:「ゆるめる」— 基準を下げてみる
次に、完璧の基準を意識的に下げる。
完璧主義者の多くは、「完璧=100点」という基準を持っています。
でも、それを「70点でOK」「60点でも十分」と、意識的に下げてみる。
最初は抵抗があります。
「こんな低い基準でいいのか」
「手抜きじゃないか」
でも、実際にやってみると、60点でも十分に機能する。
そして、何より、60点で終わらせることで、次に進めるんです。
今は「理想の半分より上だったらOK」と思って、進んでいます。
具体的な方法:
- 「これは60点でいい」と声に出して言う
- タイマーを30分にセットして、「時間が来たら終わり」と決める
- 「完成」ではなく「一旦ここまで」と区切る
心理学では、これを「良い加減(good enough)」の原則と呼びます。
100点を目指すより、70点で進む方が、結果的に成果が大きい。
なぜなら、行動の量が圧倒的に増えるから。
私の失敗例:
最初、基準を下げることに罪悪感がありました。
「こんなんじゃダメだ」と思って、結局100点を目指してしまう。
でも、ある日、「60点のものを10個作る方が、100点のものを1個作るより価値がある」という言葉に出会ったんです。
量が質を生む。
そう思えたとき、基準を下げることが怖くなくなりました。
🌼 ステップ③:「選び直す」— 不完全を選ぶ練習
最後に、意識的に「不完全」を選ぶ練習をする。
完璧主義から抜け出すには、不完全なものを世に出す経験が必要です。
そして、「不完全でも大丈夫だった」という成功体験を積み重ねる。
たとえば、
- ブログを「60点で公開する」と決めて投稿する
- 友人を家に招くとき、「片付いてないけどいい?」と最初に言う
- 仕事で「ここまでできました」と中間報告をする(完璧じゃなくても)
ポイントは、「不完全を選んだ自分」を褒めること。
「60点で公開できた!」「途中でも見せられた!」
その小さな勇気を、自分で認めてあげる。
すると、次も不完全を選びやすくなるんです。
ACT(受容とコミットメント療法)では、これを「価値に基づく行動」と呼ぶそうです。
完璧かどうかではなく、「自分の価値観に沿っているか」で選ぶ。
私の場合、「人とつながりたい」という価値観があります。
だから、完璧なブログを書かないより、不完全でも公開して人とつながる方が、私の価値観に合っている。
そう思えたとき、不完全を選ぶことが怖くなくなりました。
私の体験:
最初に「60点ブログ」を公開したときは、ドキドキでした。
でも、コメントで「わかります!」と共感してもらえた。
その瞬間、「完璧じゃなくても、価値はあるんだ」と実感しました。
それ以来、不完全を選ぶことが、少しずつ楽になっていったんです。
🌈 まとめ:不完全さを受け入れたとき、人は動き出す
以前の私は、「完璧じゃないと意味がない」と思っていました。
不完全なものは、恥ずかしい。人に見せられない。
だから、完璧にできるまで待つ。
でも、その「待つ」時間の中で、人生は過ぎていきました。
でも今はわかります。
不完全さを受け入れたとき、人は動き出す。
70点でも、60点でも、前に進むことに価値がある。
完璧を待っている間に失うものより、不完全でも行動することで得るものの方が、遥かに大きい。
完璧主義は、一見「向上心」に見えます。
でも実際は、「動かない言い訳」。
完璧を目指すことで、失敗を避け、批判を避け、不完全な自分を隠している。
でも、不完全さを受け入れたとき、やっと本当の自分が出てきます。
そして、その不完全な自分を見せることで、人とのつながりが深まり、新しい経験ができ、人生が動き始めるんです。
本当に必要なものは「不完全でも前に進む勇気」と「良い加減を受け入れる柔軟性」なのです。
🌸 40代だからこそ:頑張るより”整う”を選べる年齢
40代になって、私は気づきました。
若い頃は、「もっと頑張らなきゃ」「もっと完璧にならなきゃ」と思っていました。
完璧な自分になることが、成長だと信じていた。
だから、いつも100点を目指し、それ以下は許せなかった。
でも、40代になった今、頑張るより”整う”を選べる年齢になったと気づきました。
完璧を目指して疲れ果てるより、70点で心を整える。
100点を取って倒れるより、60点でも続けられる状態を保つ。
それが、40代の賢さなんです。
若い頃は、体力も気力もあったから、完璧を目指して突っ走れた。
でも、40代は違う。
家族のこと、仕事のこと、自分の体調。
いろんなことをバランスよく回していくには、「完璧にやらない」という選択が必要なんです。
そして、40代だからこそ、「不完全でもいい」と思える余裕があります。
若い頃は、周りの目が気になって、完璧じゃないと恥ずかしいと思っていた。
でも今は、「これでいい」と思える。
人の評価より、自分の心の平穏の方が大事だとわかるから。
心理学者のエリクソンは、中年期の課題を「生殖性(generativity)」と呼びました。
これは、次世代に何かを残すこと。
でも、それは完璧なものを残すことじゃない。
不完全でも、自分らしいものを残すこと。
その方が、価値があるんです。
私自身、40代になってから、完璧主義を手放せるようになりました。
若い頃の私には、「60点でいい」なんてとても言えなかった。
でも今は、「60点で十分。70点ならすごい!それ以上はいらない。それより、続けることの方が大事」と思える。
それが、40代の強さだと思います。
🌿 続けるためのコツ
完璧主義を手放すことは、一朝一夕にはいきません。
長年の思考パターンだから、戻ってしまうこともあります。
ここでは、続けるためのコツをお伝えします。
1. 「完璧主義が出てきた」と笑ってみる
完璧主義の声が聞こえたら、「あ、また出てきた」と笑ってみる。
真剣に戦わず、軽く受け流す。
「またあなたね」と挨拶する感じで。
それだけで、その声に支配されなくなります。
2. 「60点日記」をつけてみる
毎日、「今日の60点行動」をメモする。60点以上の行動を、記録してみます。
「60点でブログを公開した」「70点で掃除を終わらせた」。
不完全でも行動できた自分を記録することで、「これでいいんだ」という自信が育ちます。
3. 不完全な自分を見せる仲間を作る
信頼できる友人に、「私、完璧主義をやめたいんだ」と宣言してみる。
そして、不完全なものを見せ合う。
「こんな感じでいい?」「全然いいよ!」そんな会話が、不完全を受け入れる力をくれます。
4. 完璧を目指したくなったら、「何のため?」と問う
「完璧にしなきゃ」と思ったら、「何のために?」と自分に問いかける。
誰かに認められるため?自分を守るため?本当にそれが大事?
その問いが、完璧主義の正体を見せてくれます。
💫 今日の一歩
今日、ひとつだけ「手放せる完璧」を見つけてみてください。
掃除は、全部じゃなく、見える場所だけでいい。
メールは、完璧な文章じゃなく、シンプルな一文でいい。
料理は、手の込んだものじゃなく、簡単なものでいい。
「60点でいい」と声に出して言ってみてください。
そして、60点で終わらせた自分を、褒めてあげてください。
完璧じゃなくても、あなたは十分価値がある。
不完全でも、あなたは前に進んでいる。
その事実を、認めてあげてください。
あなたの不完全さが、あなたらしさ。
今日も、60点で十分です。
そのままのあなたで、前に進んでください。

